●ゲストハウス歴史探訪:株式会社オークハウス 編

インタビュー
インタビュー風景

@ まずはオークハウスさんの事業概要からうかがえますか?

オークハウスは2007年の10月で10期目になりますが、1992年に個人で創業し、1998年からは法人で営業をしています。個人事業の時期からだと約15期目になります。最初の物件であるオーキッドハウスは飯田橋の物件で、1993年につくりました。当時はゲストハウスではなく外人ハウスと呼ばれていましたが、約40人が定員の人気物件でした。入居者は8割が外国人、2割が日本人という構成で、ハウス内の標準語は英語でした。

当時は外人ハウスの言葉のイメージが悪かったため、オークハウスという名前で売り出しました。実はゲストハウスという名前も外人ハウスとイメージが変わらずプラスのイメージが無く、外国人が嫌がりました。ゲストハウスという言葉のイメージが良くなってきたのは10年ほど前からだと思います。入居者は1998年頃で日本人と外国人が半々でした。

@ 現在の管理件数・ベッド数を教えて下さい。

一括借り上げ・購入・運用受託を全て含めると82物件、約1200ベッドになります。エリアは東が亀有・北が埼玉県西川口・西が八王子・南が横浜までで、6人の担当で分担して対応しています。

@ 現在の入居者の日本人/外国人比率、男女比率はどうなっていますか?

日本人が8割、外国人が2割で、男性が55%、女性が45%です。

@ 最初は、なぜゲストハウスの運営を始められたのでしょうか?

ある古い家を借りてカナダ人に貸した事があったのですが、一ヵ月後に見に行くと綺麗にリフォームして快適に暮らしてもらった経験がありました。それを見て、東京には古い家が余っているので、これをリフォームして来日する外国人を中心に貸す事業をしようと思いオーキッドハウスをつくったのが始まりです。オーキッドハウスは1993~1996年の間に運営していましたが、普通の不動産業者は英語ができないので東京で外国人中心にやっていこうと思い、1996年以降個人で少しずつ管理件数を増やしていきました。

@ 当時の外人ハウスは形式としては、リビング・キッチンやトイレを共用する今のゲストハウスと同じだったのでしょうか?

そうですね。ただ当時の外人ハウスは、個室に鍵が付いていなかったりしましたけどね。

@ 当時はどのように集客をされていたのでしょうか?

広告は一番困りましたね。当時は英字新聞に広告を出していました。ただ広告代が高かったので、友人告知欄にマネージャーに無料で個人広告を出してもらっていました(笑)。他にも外国人が集まる場所にある掲示板に広告を貼っていました。あとは固定電話の前に座って電話が来るのを待っているという時代です。まだ外国人向けフリーペーパーも無かったので、広告は非常に苦労しましたね。このためにフリーペーパーも作ろうかと思ったほどですが、そのうち東京クラシファイドというフリーペーパーができて、今はメトロポリスになっています。

@ 最初のオーキッドハウスをつくるにあたっては、何か参考にした物件はありますか?

全く無いです。

@ 当時の入居者の2割にあたるという日本人は、どのような方が多かったのでしょうか?

海外と往復しているような人で、帰国したときに住む人が多かったですね。日本でも外国のような環境で住みたい人です。今はゲストハウスもポピュラーになって一般賃貸に住むような人と変わらないような日本人も多くなってきています。

インタビューの様子

@ 一番最初の日本人入居者の方を覚えていますか?

ヨガとアロマセラピーの先生で32~3歳ぐらいの女性の方でした。イタリア人のカメラマンと結婚したのですが、有名なスクープ写真を撮った人で印象に残っています。

@ 今のゲストハウスには無さそうな当時のエピソードはありますか?

たぶん今でもあると思いますが、当時は結婚する人が多かったですね。仲人をしたこともあります。一番よく覚えているのは一年間一緒に住んでいたカナダ人男性と日本人女性の結婚パーティーで、武蔵小金井にあったゲストハウスのラウンジで結婚式をしました。男性がギターを弾いて、女性が歌を歌ったりして、とても良い式だったのを覚えています。

@ 山中社長の目から見た、外国人中心の時代から日本人中心の現在のゲストハウスに至るまでの変化の経緯を教えて頂けないでしょうか。

1993~1996年にオーキッドハウスを運営して、1998年には10ヶ所でゲストハウスを管理していましたが、当時は日本人と外国人が50対50でした。またゲストハウスの場所によって外国人が集中するゲストハウスと日本人が集中するゲストハウスで差ができていました。白人さんは中央線沿線が好きでしたね。

当時の日本人は東京クラシファイドなどのフリーペーパーの広告を見て来ていました。いわゆるバックパッカーが多く、英語が話せるような日本人中心でしたが、日本人が増えるに従ってゲストハウスの中での標準語は英語から日本語になっていきました。

法人化した1998年から2002年頃は、300部屋いけば幸せだと思っていましたね。今は1200ベッド程度になっていますが、むしろ今のほうがリフォームにお金がかかって大変です。昔は一部屋10万円でできていたところが、今は25万円程度リフォームにかかります。昔はエアコン無し、畳はそのまま、襖に鍵をつけたら大丈夫というところもありましたが、それだけお客さんのニーズが変わってきているということですね。

@ 1998年から市場はどのように変化してきましたか?

市場全体は年率25%程度で伸びていたと思います。環境変化としては、リフォームにしっかりお金をかけた良い物件が出てきたこと、行政の指導が厳しくなってデイリーはやらないというようなコンセンサスができたこと、認知度が高まって参入業者が増えたことがあります。

@ 日本人が一気に増え、特に国際派志向というわけではない普通の日本人の方が住むような場所になったのは、いつ頃からでしょうか?

ここ5年くらいのことだと思います。

@ そういった方々が入居するようになって、ゲストハウス内のコミュニティの質に変化はありましたか?

物件ごとにコミュニティの濃さ・薄さの差が大きくなってきているように思います。コミュニティの薄いところに入居する人はゲストハウスというよりもマンスリーマンションの代わりとして入ってきているのかもしれませんが、コミュニティの濃いゲストハウスと薄いゲストハウスと選択できることは良いことだと思います。パーティーに参加したり外国人とコミュニケーションをとるといったことは、自分次第でいくらでもできる環境はあるわけですから。

@ 参入する事業者が増えてきて、供給過多になるのではないかという話も一部で聞きますが。

過当競争は既に始まっていると思います。普通に転貸でゲストハウスをやっているところは利幅が薄く、原価率が60%程度で、一般管理費等を考えると入居率が8割を切ると赤字になってしまいます。当社ではオーナーに代わってリフォームをすることで原価率を45%に抑えていますし、運営開始時から時間が経ったらリフォームを再びかけています。まじめに建物の維持管理をしていかないと入居率も下がってしまうので、撤退するところも出てくるのではないでしょうか。

インタビューの様子

@ 今後注力していくゲストハウスはどのような特色のものですか?

デザイン色の強いゲストハウスをつくりたいですが、家賃をキープしながらどれだけ良いものができるかが問題ですね。基本的には立地が良ければある程度家賃を高く設定できるので、まずは場所の良い物件を確保してデザイン性や居住性の良い物件にしていくということだと思います。

ゲストハウスの運営を15年続けその変遷を見てきていますが、現在のゲストハウスが一番良いと思います。物件の質も上がってきていますし、外国人とのコミュニケーションも意欲のある人には開かれています。日本人も地方から上京してきている人、海外から帰ってきた人、学歴が高い人、立派な職業の人、いろいろです。ゲストハウスが東京の都市インフラとして認知され始めている中で、家賃は安くても気持ちは国際化というようなことでゲストハウスを使っていただけたらと思います。

@ 本日はお忙しい中、どうも有難うございました。