●ゲストハウス歴史探訪:株式会社日欧交遊企画 編

インタビュー
インタビュー風景

@ まず、日欧交友企画さんは、どのような事をなさっている会社なのでしょうか?

ゲストハウス及び家具付きアパートメントの賃貸をしています。最初、会社をつくった20年前は外国人向けの賃貸でした。日本は賃料も高く敷金・礼金で月額の6倍も用意しなければならなかったため外国人が日本で部屋を借りることは、とても難しいことでした。また、来日する外国人も日本語ができる人が少なく、一般の大家さんも英語ができないといった状況でもありました。そこで、日欧交友企画では、家具や冷蔵庫等が備え付けで、敷金・礼金・更新手数料なしで、若い人・学生さんでも日本に来てすぐに簡単に入居できるような賃貸物件を提供してきました。

@ どのような外国人の方が多いのでしょうか?

日欧交友企画にいらっしゃる外国人のお客様だと海外企業の日本支社へのインターンシップ生が多くなってきています。卒業前に、だいたい3ヶ月~半年間、日本で企業研修していく方が、特にドイツやスイスからの方に多いようです。また、たまに政府関係で政治家の付き人のような、秘書見習いを日本でしている方もいます。

@ 現在、日欧交友企画さんでゲストハウスと家具付きアパートメントを、どれくらい管理されているのでしょうか?

ゲストハウスを5ヶ所、家具付きアパートメントを7ヶ所の計12ヶ所管理しています。ベッド数で言うと全体で約130ベッド、うちゲストハウスが約90ベッドになります。大田区が一番多く、新宿・上野にもあります。家具付きアパートメントも大田区に集中しています。

@ 入居者は、どのような方が多いですか?

日本人が約60%、外国人が約40%です。外国人は国で言うと、ヨーロッパからの方が多く、ドイツ・イギリス・スイス・カナダ・オーストラリアの方が多いです。スイスは副社長の伊藤ベアトリスの出身地で、その関係もあって多くなっています。アメリカは比較的に少ないですね。

@ アジア圏出身の方は少ないのでしょうか?

全体で見れば少ないですが、IT関係の仕事でインド・ベトナム・中国から少しいらしゃっています。ベトナムの方は、あるベトナムの大手IT会社の日本支社の方が定期的に利用されています。それから比率的には、まだ大きくないですが、韓国の方が前より増えたと思います。韓国も物価が日本と変わらないぐらいに経済発展して、海外に行きやすくなっているのではないでしょうか。

@ 創業はいつ頃ですか?

1987年に会社を作りました。1986年に主人(日欧交友企画社長)と結婚したのですが、主人はヨーロッパで長期間生活したことがあり、外国で住居を探すことの大変さを実感していて、特に日本では難しいことを分かっていたので、結婚前から主人は外国人向けの住居の提供をしたいと考えていました。このような経緯で1987年に最初のゲストハウスとしてティーチャーズ・ロッジをつくりました。

ティーチャーズ・ロッジ

@ 日欧交友企画の創業以前は何をされていたのでしょうか?

イギリスから雑貨を輸入して日本で卸売りをする仕事をしていました。その時の職場のスタッフにも外国人がいて、住む場所に困っていましたね。

@ ティーチャーズ・ロッジを開始する際は、ご主人が海外で泊まっていたところを参考にされたんですか?

そういうことはないです。現在の日本の定住型ゲストハウスのようなものは海外でも知る限りでは、ありませんでした。むしろ、どんなに外国人が住まいを探すことが難しいか、自分も主人も分かっていたので、オリジナルでつくりました。物件の話で言うと、現在とは違って最初は畳敷きで、壁で仕切っただけというような感じでした。壁をパステル系の色で塗ったり、ペイントをしたり、畳をフローリングにしたり、段々と変えてきました。

ティーチャーズ・ロッジ

@ 壁のペイントはどなたが描かれたのですか?

バッファローの絵はメキシコ人、キッチンとTVルームの絵はニュージーランド人の方に描いてもらいました。現在は改修されて見られないですが、シャワールームにも滝の絵を描いてもらいました。メキシコ人の方は空手をしていた人だったのですが、家賃を滞納していたので、代わりと言うわけでもありませんが、絵を描いてもらったという経緯がありました。

ティーチャーズ・ロッジ

@ 初めの頃は宿泊用に運営されていたのでしょうか?

いいえ。最初から中長期の定住型住居で運営していました。英語の先生や学生等の方々に長く居て欲しいと思っていました。

@ ゲストハウスの運営を始められた頃、同様の事業をされていた業者さんは他にありましたか?

小さい業者は1つ2つあったと思います。1980年に初めて来日した時は、高円寺のセイワ荘というシェア物件に住んでいました。古いアパートで大家さんは90歳ぐらいだったと思います。また、目白にEnglish Houseという、少し大きめの一軒屋をシェアした物件があり、そこに友人が住んでいたことを覚えています。場所は忘れましたが吉田ハウスというところもありました。

@ 当時、入居者は外国人だけだったのでしょうか?

そうです。日本人が初めて住んだのは1990年でしたが、例外的な方でした。外国から帰ってきたばっかりの人で、帰国してしばらくすると、また海外に行って、また戻ってきて、また海外に行って…というような人でした。

@ 伊藤ベアトリスさんは、来日される前にゲストハウスのようなシェア住居に住んだことがあったんでしょうか?

全くありませんでした。海外にも定住型のゲストハウスのようなものは無かったと思います。また、当時は航空券が高かったこともあって、バックパッカーが利用するような宿泊施設は少なかったんです。

@ 80年代後半~90年代には、集客はどのようにされていたのですか?

最初はビラを自分で作って、原宿で配っていました。当時の日曜の原宿は歩行者天国で、すごく賑やかで、外国人も集まっていました。また、Japan Timesやメトロポリス(英文フリーペーパー)に広告を載せていました。新聞は掲載料が高かったですね。あとはクチコミです。バックパッカー宿のノートに、”東京にはティーチャーズ・ロッジというところがあるよ”みたいなことが書かれていたみたいで、電話がかかってきたりしていました。ロンリープラネットという旅行ガイドブックにも、よく掲載されていました。

@ 仕事や観光で日本に来た外国人が集まって住んでいる、日本の中の小さな外国人村といったような場所だったのでしょうか?

そうですね。一緒に住むことで、日本に来て何も分からない状況でも、仕事を探すにはどこに行けば良いか、日本語学校はどこが良いか、ここは行くと面白いといったような情報交換をできる場所として、外国人にとって貴重な空間だったと思います。

@ そういった部分は、今も変わらず受け継がれているゲストハウスの良い所ですよね。何か、当時の印象的なエピソードはありますか?

サルを飼っている人がいました(笑)。フランス人で、フランスからサルを連れてきていたみたいです。入居の時はもちろん隠していて分からなかったのですが、押入れで飼っていたようです。彼はフランス語を教えていたのですが、サルを連れて行っていたそうで、一度サルが駅で逃げて大騒ぎになったこともあったみたいです。サルを飼っていることが皆にバレてしまってからは、よくリビングに連れてきていましたね。結局住んでいる間にサルは死んでしまって、飼い主のフランス人が泣いていたのを覚えています。

@ ゲストハウスの1次ブームのようなことが昔あって、現在は2次ブームということを聞きましたが。

一時、ウェイティングリストができるほど入居希望者が来て、物件も事業者もすごく増えた時期がありました。1990年ごろだったと思います。でも、そのころ増えた事業者の多くは潰れてしまいましたね。

@ 1次ブームは外国人向けだったのでしょうか?

そうです。外人ハウスブームとでも言うのでしょうか。1992~1993年頃まで続きましたが、ビザの審査基準が厳しくなって日本に来る外国人が一時期減ったように思います。また、英会話学校の採用の基準も厳しくなりました。昔は金髪だったら英語教えられるでしょ、といったような感じでしたが、きちんとしたレベルの先生でないと採用されないようになりましたね。

@ なるほど。ところで、ゲストハウスにはいつ頃から日本人が増えてきたのでしょうか?

10年ぐらい前からです。格安航空券で気軽に海外に長く滞在できるようになって、日本人のバックパッカーや学生旅行が一般的になりましたが、そういった人たちが海外で(宿泊型の)ゲストハウスのことを知って、日本でも同じようなことを経験したいというようなことが動機としてあったようです。インターネットが普及する前は、フリーペーパーの広告が集客のメインだったため、バックパッカー・海外経験があって英語の読める日本人が、渋谷や六本木でフリーペーパーの広告を見て来ていました。今は英語ができない日本人の方が多いですが、当時は外国人に接したい、英語を話したい、というような思いの日本人が1990年代に増えてきました。

@ 最初はゆっくり増えたんですか?

そうですね。当時、海外に行く日本人が増えたと言っても、一部の人でしたから。このような流れが1990年代中続いて、2000年ぐらいから日本人が急に増えてきました。インターネットのホームページを2000年頃に立ち上げて誰でもアクセスできるようになりましたし、最初ホームページも英語だけでしたが、日本語表記も加えたことが大きかったですね。

@ 入居する方も変わりましたか?

昔は日本人でも海外経験があり、外国人と一緒に住みたい、英語がしゃべりたいという人が中心でしたが、今は全く関係ないようになりました。日本人・外国人関係なくシェアで住んでみたいという理由になってきていますね。

@ このような変化が起きたのはいつ頃でしたか?

2004年頃だったと思います。

@ 最近は単純にシェア生活が楽しそうという事で入居する人のほうが日欧交友企画さんでも多いのでしょうか?

そうですね。一方で、地方からいらっしゃる方も多いです。ゲストハウスは初期費用が安いですし、テンポラリーな使い方として、とりあえず数ヶ月住むという地方からいらっしゃる方には効用が高いと思います。インターネットの活用によって、地方からも簡単に来られるようになりました。インターネットが普及する前は、部屋を見ないで予約ということはありませんでしたが、今は地方の方も外国人の方もネットで予約していらっしゃるようになりましたね。

@ 日本人入居者の増加という大きな市場変化については、どのようにお考えですか?

変化は変化として受け止めるべきだと思いますし、ニーズがあれば外国人でも日本人でも良いと思っています。最初は外国人向けでしたが、外国人と日本人が混ざった方が、日本人にとっても外国人と居るほうが面白いし、外国人にとってもそうだと思います。外国人には日本語を勉強している方が多いですし、皆にとってプラスになれば良いと思っています。

@ 昔からゲストハウスを運営している業者さんに聞くと、だいたい外国人と日本人を半々ぐらいにしたいと仰る事が多いように思います。外国人が居るとゲストハウスの中が明るくなりますし、良い比率が保たれると良いですね。

そうですね。ひつじ不動産も英語版をつくって、良い比率を保てるようにして頂ければと思います。日本の企業は、世界の中でも特殊な企業風土を持っている会社が多いので、外国人の入居者にとってはそういったことの情報交換もできますし、外国人のイメージでは日本人と友達になることが難しいということがあるので、一緒に住むということは良いですね。

@ 現在、日欧交友企画さんの入居者の方々は外国人の方が4割ということで宜しかったでしょうか?

そうですね。ある程度の比率はキープしていきたいと考えています。

@ ゲストハウス市場全体では随分と物件数が増えてきている一方で、日欧交友企画さんでは2000年以降はゲストハウスを増やされていないという事ですが、これはなぜなんでしょうか?

日本人のゲストハウスのニーズは高まっているのですが、逆に外国人の方はゲストハウスよりも家具付きアパートを好む傾向があり、現在は家具付きアパートメントを増やしています。日本での外国人の環境も変わってきて、仕事のレベルも上がって忙しい方が多いようで、ゲストハウスよりも家具付きアパートを好むようです。

@ 定住型のゲストハウスは海外には無いのでしょうか?

昔は無かったと思います。今は国によると思いますが、オーストラリアの都市部にはゲストハウスとアパートの中間のようなものが多くあります。間取りで言うと各部屋にキッチンが付いていて、トイレやシャワーをシェアするというスタイルですね。業者さんも関わり方がそんなに深くなくて、マンションの管理会社ぐらいの付き合い方です。オーストラリア人という人たちは、ものすごい引越し好きなのですが、引越しの間のテンポラリーの利用として便利なようです。また日本と同じように20~30代の人が多いです。

あとは、オーストラリア・カナダ・スイスでは個人でのルームシェアも多いようです。

@ ちなみにスイスではルームシェアを何と呼ぶのですか?

Wohn Gemeinschaft(ヴォーン・ゲマインシャフト)と呼びます。略してWG(ヴェー・ゲー)と呼んだりもします。海外には短期滞在型のゲストハウスはあっても、定住型のゲストハウスは無いかもしれません。昔、日欧交友企画の物件で長く住んでいたイギリス人男性が、日本のゲストハウスのスタイルを気に入って、イギリスでもやってみたい、と言って日本とイギリスを行ったり来たりしながら計画して、ロンドンで土地を買ったと言っていたと思います。結局どうなったかはわかりませんが(笑)

@ 今日はどうも有難うございました。